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9/27  吹上小の昔

プールの横で、ニラの花が控えめに小さな花を咲かせています。

   

10月1日は、本校の134年目の開校記念日。本校の起点は明治22年10月1日、東曜寺境内に新校舎を設立し「吹上村立吹上尋常小学校」として開校した時とされています。(その前身として明治6年に同・東曜寺境内に開校した「吹上小学校」がありますが、本校の始まりは明治22年とされています。)

校長室で時間があると開く本に「我が学び舎の歩み(吹上小百周年記念誌)」と「写真集・吹上」があります。時々、子供たちも「貸してください。」と借りに来る、吹上の歴史を知るための貴重な本です。

その中から、何枚かの写真を転載いたします。当時を偲ぶとともに、先人の思いとその御尽力を知ることは、今の私たちがやるべきことを示してくれるものとなります。

昭和5〜10年ごろの校地図。明治32年に東曜寺から移転した本町4丁目の場所で、吹上駅の東側、昭和医院の北東にあり、正門は蕎麦屋「たけや」さんのあるあたりです。

正門左側にあった「おうぎょう山」という場所は、この時代の吹上小の象徴となっているようで、「おうぎょう山」にまつわる「言い伝え」があったとのことですが、今はそれを知る由もありません。

子供たちの集合写真(おうぎょう山の前にて)

おうぎょう山時代の先生たち

おうぎょう山時代の校舎の前で

子供たちの集合写真(おうぎょう山の前にて)

昭和11年 木造二階建て校舎の落成式典。

現在の吹上小の場所に移転。今はなくなってしまった木造二階建て校舎は、とてもモダンな作りとして新聞にも取り上げられ、内外からの視察も多く来たとのことです。その建設費の総額は66,235円※(町費55,317円、寄付10,918円)。※貨幣価値が今とは異なり、現在の金額への換算は難しいですが、当時としてはかなり高額の費用をかけて作られたとのことです。

移転の際には、二人掛けの学習机の運搬を子供たちがやったとのことですが、2階建ての新しい洒落た校舎に入れる喜びから、運ぶのも苦ではなかったらしいです。

 
 昭和10年頃の元荒川の護岸工事。現在の吹上小の場所は、もとは田んぼで、この護岸工事の残土を人力で運んで埋め立てたそうです。リヤカー1台をはこんでの賃金は3銭で、一日頑張って運んでの賃金は75銭程度だったとのこと。子供たちも、袋で砂をはこぶ「砂運び」を行っていたようです。

 

昭和27年の洲崎橋。

昭和41年の大芦橋。台風ごとに幾たびも橋が流されたそうで、太い鋼管パイプで橋脚を補強したとのこと。

昭和48年の吹上駅構内に展示されていたSL。のちに吹上小校内に展示され親しまれていたが、現在は、秩父線の「パレオエクスプレス」として現役復帰。汽車には「吹上号」というプレートが付いています。