1/17 30年が経ちました
朝の気温は3.5℃。風があるので体温を奪われて、体感温度はそれ以下に感じます。
出席停止期間の児童も数名いますが、学級閉鎖をしていた2年1組が2日ぶりに登校してきました。今日のインフルエンザによる欠席数は全校で13名(1年:1名、2年:5名、3年:4名、4年:2名、5年:1名)でした。
もしも土日に体調不良になられた場合は、「休日の体調不良連絡フォーム」から御連絡いただけると幸いです。
「阪神・淡路大震災」から30年が経ちます。
1995年(平成7年)1月17日(火)の午前5時46分に発生した淡路島北部を震源とする地震による災害で、6,434名もの方が犠牲となりました。御遺族の方々にとって30年という月日は、決して長くない時間かと思われます。謹んでお悔やみ申し上げます。
当時、私(校長)は、寄居町立鉢形小学校の臨任教員として勤めておりました。朝の7時過ぎごろ、通勤途中の車の中でNHKラジオを聞いていました。アナウンサーからは「どうやら、関西の方で地震が発生したようですが…、特に情報が入ってきていないので…、まぁ、大丈夫なのでしょう…。」というような言葉がありました。
ところが、2時間目休みに職員室に入ると、めったにつけることのない職員室のテレビがつけられていて、そこに衝撃的な映像(下記写真)が写っていました。「どこの国だろう?すごいことが起きているな…。」と思いましたが、そのあとすぐテレビの音声から日本で起きた地震だということを知りました。驚きとともに、朝の通勤途中で聞いたNHKラジオのアナウンサーの言葉が思い出されました。
先日、『南海トラフ巨大地震 30年以内発生確率「80%程度」に引き上げ』というニュースがありました。この先に大地震が来ることは「避けることのできないこと」として受け止め、「地震発生後の被害を最小限に食い止める努力(備え)をすること」が、被害に遭われた方々に報いるとともに震災を風化させないことにつながると考えます。
今日の給食の時間に、全校放送で「地震への備え」についてお話します。御家庭でも、今一度「地震への備え」について振り返る日になればと思います。