📖日記のページ📖

2024年10月の記事一覧

10/03 コスモス学級「宿泊学習」

おいしいおいしいカレーライス🍛をみんなでいただきました(^^)/

みんなが作ったカレーライスは、給食のカレーライスに負けないくらい美味しかったですね!

雨が降っていたので、鉄筋校舎の昇降口軒下で花火をしました。たくさんのお家の方々が応援に来てくださってましたが、ここでお別れです!(ありがとうございました)

この後はシャワーを浴びてから、「肝試し」です衝撃・ガーン

10/3 コスモス学級「宿泊学習」

コスモス学級の子供たちが、学校での「宿泊学習」を行います。17時からは午前中に下準備をしておいた夕食の「カレー作り」を行い、「花火」や「肝試し」も行う予定です笑う。寝る場所は「ふれあいルーム」に小荷田さんからいただいた新しい体操用マットの上に使い捨てのシーツを敷いて寝ます。学校にみんなで泊まること、楽しみですね!

寝床を作って、寝る場所と寝心地の確認をしてます。みんな眠れるかな?

 

10/3 4年生「榎戸堰」へ

小雨も少し止んだ中、4年生が「榎戸堰」の見学に行きました。

榎戸堰は荒川の西遷以前からある歴史ある堰で、元荒川の第一の堰となります。この後、「榎戸堰」の歴史やその役割など、郷土史に詳しい指導者の方のお話を聞く機会も設けて、子供たちが調べていきます。

【昔の榎戸堰】

写真は「ふるさとの思い出写真集 明治・大正・昭和の吹上(ふるさと吹上を知る会編集)」より。

昭和41年(1966年)にコンクリート製の堰に変わるまでの約60年はレンガ造りの堰でした。

明治36年。レンガ造りの堰場の工事の様子。湧き水に苦しめられて工事は大変だったとのこと。
 
 明治36年。レンガ造りの堰場の完成を祝う竣工記念式。
 
 昭和27年頃の榎戸堰。
 
 昭和初期。榎戸堰は澄んだ水で天然のプールだったとのこと。先生に引率されて小学生たちが泳ぎに来ていたそうです。

レンガ造りの堰を見ることはできませんが、榎戸堰から道(中山道)の下をくぐる「榎戸堰組合用樋管(えのきどぜきくみあいようひかん)」は、堰完成の2年前(明治34年)に作られたもので、現在も当時のレンガ造りままの姿で残っています。この煉瓦は、東京駅建設にも使われた「日本煉瓦製造(深谷市)」のレンガが使われているとのことです。

 

 

10/3 雨の朝☔

朝の気温は21℃。子供たちの登校中に、しっかりとした雨がザーザー大雨と降ってきました。何人かは傘を持たずに来てしまい、少し濡れてしまったようです。不思議なことに、傘を持っているのに「さした方がいいよ。」と言われるまで、ささない子も数名いました…。

1年生の教室。あるクラスには6年生の児童が先生のお手伝いに来ていました。休み時間にも高学年が1年生の児童と仲良く遊んでいる(あげている?)のをよく見かけます。優しいお兄さん、お姉さんがたくさんいて、嬉しいですねにっこり

10/2 1年生「中村哲氏のDVD視聴」

4時間目にふれあいルームにて中村哲氏のDVDを観ました。やや、難しい言葉もあったかと思いますが、1年生たちは最後まで集中して見入っていました。

砂漠だった土地に緑が広がった映像が映ると「ワ~…。」と小声ながら驚く声が聞こえ、拍手をする子笑うもいました。見終わった後には涙をためている子心配・うーんも数名いました。中村氏の行った医療活動や灌漑事業の功績の大きさは勿論のことですが、子供たちが中村氏の足跡を知ることも、未来につながるさらに大きな功績となることでしょう。

YouTubeに中村氏を紹介する動画がたくさんあります。今日の動画の概要が分かる動画のリンクを貼るので、改めて御家庭でお子さんと観ていただき、話題にしていただけると幸いです。

視聴覚劇場版「荒野に希望の灯をともす」予告編(約2分)