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2022年11月の記事一覧

11/15 家庭科「献立を考えよう」

6年3組の家庭科授業を参観しました。

栄養バランスなどを考慮しながらグループで考えた「給食の献立」を、他のグループからの意見を受けながら、さらに再考する授業でした。子供たちは、調味料などの分類などにやや苦戦汗・焦るしていましたが、一生懸命に「自分たちのこだわりと思い入れのある献立」を考えていました。実際に給食で実現できるといいですね笑う

 子供たちは、学習者用端末を「情報収集・意見集約・分析・意見交流等」で活用し、自分たちの端末を「一つの学習ツール(文房具)」として既に定着させていることを感じる授業でした。

※ICT活用については、本校の学校課題として取り組んでおり、各学年の提供授業を、参観できる職員が見に来る方法で研修を進めています。

11/15 児童集会(放送・保健)

今日は、朝からやや冷たい雨雨が降っています。一昨日の強い風で、築山横の百葉箱の屋根が壊れてしまいました心配・うーん。明日は持久走大会を予定していますが、校庭の具合によっては延期の可能性もあります。校庭が乾ききっていたせいか、今のところ(11/15 AM9:30)水はけの悪い本校の校庭ですが、珍しく水たまりはできていません。


 今日の業前に児童集会(放送委員会・保健委員会)を行いました。各委員会で工夫した動画を作成し、委員会の仕事の紹介や、安全な学校生活をおくるために必要なことなどを伝えていました。

11/11  正門横の石碑は…

築山のアカシアの葉が色づくとともにハラハラと落ち始め、山肌一面をも秋の色にかえております。

 さて、本校の正門を入った右手に、木々の中ひっそりと赤茶色の石碑があるのを皆さんは御存じでしょう。この石碑は、吹上小学校の前身である「吹上村立吹上尋常高等小学校」の校長を長きに渡り勤められた「須田代五郎校長先生」の御功績を記念して作られた石碑です。

 須田代五郎校長先生は、明治28年(1895)の24歳の時から、大正14年(1925)の56歳まで、約30年も本校校長として御奉職されました。また、画家の須田剋太氏のお父様として御存じの方も多いことと思います。

【石碑の文】 

先生は明治3年(1870)11月10日吹上村大字大芦95番地 須田兵太郎・まき御夫妻の間に次男として生を享け 明治26年3月埼玉県師範学校を卒業後 鴻巣尋常高等小学校に奉職 ついで27年4月吹上尋常高等小学校に転じ28年3月開校々長を拝命した

爾来30有余年 よく子弟を薫陶育成して多くの逸材を世におくり 時の名校長として 又 北足立郡地方校長会々長として教育倫理の普及に挺身された  大正14年(1925)5月病患を得て職を辞し同年7月19日事業半ばにして卒す 時に56才

 郷党の子弟その勲徳を慕い、生誕百十周年を記念して ここに碑を建て その偉業の志を後世に伝えんとするものである 

昭和55年11月9日

 須田校長先生の御生誕の日が、昨日(11月10日)でしたので、皆さんに紹介します。


 56歳という若さで他界されたとのことが石碑に記されております。若輩の私もあと数日で同じ歳となります。日本が激動の時代へと入っていく中、須田校長先生がどのような思いで世の中や子供たちを見ていらっしゃったか知る由もありませんが、先人に恥じぬよう、さらに素晴らしい吹上小学校となるよう日々精進してまいりたいと思います。

11/10 6年生修学旅行「芦ノ湖の遊覧船」動画です

先程、帰校式も終わり、6年生としての一大行事である「修学旅行」が終わりました。2日間の修学旅行、天気にも恵まれましたが、子供たちの明るく元気で、そして立派な態度のおかげで、素晴らしい二日間となりました

※芦ノ湖の遊覧船の動画です(約1分15秒)。「楽しさテンション➚➚」の雰囲気が伝わると思います。景色も最高でしたね!!

11/10 4年生福祉体験

本日の3時間目に、総合的な学習の時間「視覚障がい者の方の生活を知ろう」の一環として、講師の方、盲導犬を招いて、体験学習を行いました動物

子供たちは、盲導犬の役割や盲導犬や視覚障がい者の方に接するときに配慮すべきことを学びました鉛筆。子どもたちにとって、視覚障害の方に出会った時に「自分にできることは何か」を考えるよい体験となったようです。

実際に町であったら、「してもらってうれしいこと」を実行していきましょうね笑う