📖日記のページ📖

日々の教育活動を児童の写真とともにお届けします!

8/19 「カエル会議」と「特別活動の研修」

久し振りに先生方がそろって出勤しました。今日は研修日です。

午前中の前半に、教頭先生のコーディネートで「※カエル会議」を行いました。業務改善を自分たちの課題として再認識して、改善として行えることを行っていくための会議です。(※ノート・レポート参考資料)

この後、先生方から出された改善案を検討し、具体的に取り入れて実践していきます。

   

午前中の後半に、元埼玉県特別活動研究会会長の稲垣孝章(いながきたかふみ)先生をお招きして、特別活動の御講演をいただきました。稲垣先生は、現在、東松山市教育委委員や複数の大学での指導、また様々な全国組織の研究会の顧問等に就かれていらっしゃり、大変御多忙な中、本校の御指導に来てくださいました。

稲垣先生の情熱溢れるお話に先生方が引き込まれ、時間があっという間に過ぎてしまった御講演でした。「できればもっとお話を伺いたかった!」という声が多く聞かれました。

稲垣先生、御指導ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

 

8/17 校庭の芝生

校庭の芝生はスクスク育っています。まだ植え付けた苗と苗の間から地面が見えますが、緑が濃くなってきました。10月からは緑の芝生に入れるので、楽しみにしていてくださいね!

業者の方が、緑のフェンス内の小さな雑草を一本一本丁寧に手で抜いていました。流石です。

普段の学校生活の中で、小さな雑草にちょっと気づいたときに数本でも抜く習慣を、みんなでつければ、こんなに生えてこないかなぁ…。2学期以降、芝生内と周辺の無理なく続けられる「雑草対策」をしなければです!

8/14 終戦前日の「熊谷空襲」

今から77年前、1945年8月14日の深夜、熊谷上空に米軍爆撃機が飛来し、熊谷の市街地を焼け野原にする爆撃が行われました。日本の無条件降伏は決定していましたが、米軍に正式に伝わっていなかったため、終戦前日に266名(熊谷市のみ)の命が失われれてしまいました。

熊谷高校が作成した動画「終戦前日.最後の空襲-熊谷空襲- あの時何があったのか 1945年8月14日23:30」(9分24秒)を下記にリンク掲載します。

 

77年前に、この空に爆撃機が来て、人々の暮らすこの場所へ無数の爆弾を落としたという事実。残念ながら、その「地獄」を想像することはとても難しく「ありえないこと」「自分たちには起こりえないこと」という思いで受け止めてしまうのが正直なところかと思います。

けれども、この瞬間にも、大国が他国へ侵攻して人々の命を奪う戦争が行われています。戦争の悲惨さを伝え、平和を希求する気持ちを涵養するだけでは、もはや戦争を避けることはできないということでしょうか……。

8/6 原子爆弾が投下された日

「日記のページ」に掲載する内容ではないかもしれませんが。

今から77年前の8月6日、広島に原子爆弾が投下され、14万人もの尊い命が失われました。鴻巣市の人口が12万人弱なので、鴻巣市に住むすべての人よりもさらに多い命が、一発の爆弾で奪われたことになります。

私たちが、日本人として「忘れてはならないこと」について、思いを巡らせる日であることを願って。ぜひ、下記の『ヒロシマ・アーカイブス』『ナガサキ・アーカイブス』を御覧ください。

情報処理・パソコンヒロシマ・アーカイブス

情報処理・パソコンナガサキ・アーカイブス

8/5 カブトムシの名前

HPで募集していたカブトムシの名前ですが、次の名前にしたいと思います。

オス:小十郎(こじゅうろう) メス:さくら

たくさんの応募(?)をいただき、ありがとうございました。いろいろ素敵な名前が多くて迷ったのですが、「小十郎」「さくら」がピッタリな感じがしたので選びました。選ばれなかった人、ごめんなさい汗・焦る

2匹は仲良く、食欲旺盛で、とっても元気です笑うエサのゼリーに顔を潜らせながら、ひたすらゼリーを食べています。